南イタリアの集落撮影後記    
南イタリアの集落撮影後記
 
□ レッチェ
 「一生のうちに、4つ建てられたらいい。」
これは、今日の取材で出会った住宅の修理工事をしていた年老いた石屋さんの言葉である。
そしてその仕事は、最後の4番目の物なのである。はたして生きている間に出来上がる物かどうか。
それは本人にもわからない。誰かが跡を継いで、その仕事が完成することを当たり前のこととして、
コツコツと石を彫刻し積み上げていた。
 時間に追われて毎日の仕事をしている私には、老人のこの言葉とその仕事ぶりはショックであった。
ここでは、人々の生活と街の歴史とが一体化したものとしてあった。                   
                 1987年4月28日レッチェにて
 
■ プロチダ島
 私が集落に取り組もうと決心して何年たったのだろう?
ナポリから船で一時間。島の急斜面に沿って砂岩を積み上げ、漆喰仕上げの住居が
セットバックしながら競り上がっている。その中心に鳥が卵を抱くようにして教会が村を守っていた。
海辺で漁師達が船や漁網の手入れをしている風景は、日本の漁村とあまり変わりはない。
だが、赤、青、黄と色とりどりの家々の窓、そして路地からの女達のおしゃべり、子供達の歌声・・・
実に陽気で明るい海上の共和島出会った。
 私には何処か心温まる懐かしい風景に思えた。                      
                 1989年12月18日 産経新聞夕刊 「私の写真」に掲載
 
□ マテラ
 自然の洞穴を利用した洞窟住居跡に始まり、半洞窟半石造住居と進み、次には
地上の石造住居となった三様の姿が一望に見られる所は世界広しといえど数少ないだろう。
点々とした洞窟住居を見ると、野生の動物を追いかけていた石器時代を想像し、
城壁の上に見る住居を見ると中世の武装した戦士の姿が目に浮かぶ。
その声が重く心に何かを訴えてくるようである。
 廃墟と化した集合住宅の中にポツンと一軒灯がともると、何ともいいようのない時代と
歴史を感ぜずにいられなかった。            
                 1989年12月19日 産経新聞夕刊 「私の写真」に掲載
 
■ アマルフィ
 住居群、店舗、教会へと繋がっている地下通路。暗い通路に所々上から横からと
太陽の光が射し込み、明るく演出効果を上げている。通路の脇には、マリアの祠にロウソクの火が
静かに点っていた。暗い洞窟の中にあって緩やかな自然の曲線が心を温めてくれる。
 洞窟通路を出て坂を上がると一方には山一面のオリーブ畑で、一方を見下ろすと
光に照らされた青い海が広がり、まるでタイムトンネルをくぐった思いがした。        
                 1989年12月20日 産経新聞夕刊 「私の写真」に掲載
 
□ アルベロベッロ
 童話に出てくるようなおとぎの国が突然目の前に現れた。
トウルッリといわれ、石で造られた円錐形ドームの民家は十六世紀につくられ、村から町へと
発展してきた。この素朴な町にも観光の波が押し寄せ、休日ともなると町中が観光客で溢れてしまう。
それはちょうど日本の白川郷に似ている。
 家々の屋根の煙突にはユーモラスな風見鶏達が風に動いて、夜ともなると
ファンタジックなメルヘンの世界に一変した。          
                 1989年12月21日 産経新聞夕刊 「私の写真」に掲載
 
■ チステルニーノ
 町の一番中心にあるエマヌエル広場。この広場をぐるりと住居群が囲んでいる。
石の家に石の道路、そして石の広場である。日本のように土のある庭は全く見あたらず、
全てが石に囲まれている。イタリアの町にはこのような広場が至る所に見られる。
昼は子供達の遊びの場であり、夕方になると、何処からともなくネクタイをきちっと付けた
男達が集まってきて楽しげに談笑し、議論しあう。一日の生活のリズムの一つになっている。
 お祭りのメイン広場にもなり、イタリアの町のドラマはここから始まるようである。                             
                 1989年12月22日 産経新聞夕刊 「私の写真」に掲載