吉島家住宅撮影後記    
吉島家住宅撮影後記
 私が吉島家を初めて訪れたのは昭和53年の秋、建築家の高須賀晋さんと一緒に
「日本の集落」の取材をする途中でした。建築家吉島忠男さんに岐阜県の現代住宅と
民家の情報を教えて頂くのが目的でした。以前から吉島家住宅については諸先輩の作品を
拝見していたので、私も一度は挑戦してみたいと思っていたが、さすがに実物を目の前にすると、
とてもとても、ちょっとや、そっとでは 撮れそうもない建築美に尻尾を巻いてしまった。
 「撮影されるならどうぞ」と云われた言葉にも「またゆっくり出直して来ます」と
引き下がってしまう有様だった。その後、何度か吉島家に泊めていただき、その建築構造、
建築空間の素晴らしさ、現代のデザインにもまさる、すみずみまで神経のゆき届いた姿に
いくたびとなく感激を新たにした。
 丁度その頃、雑誌「和風建築」が創刊され、連載のため吉島家住宅を取材させていただくと云う
願ったり適ったりの嬉しい仕事をすることになった。一年半程通ったでしょうか、吉島家には
大変ご迷惑をおかけすることになってしまった、とにかくどんなことでも記録しておこうと、
まず初めは先祖の御墓から撮り始めました。四季の季節感を盛り込もうと、雪が降るたびに
何度か高山を訪れたが最初はあまりの豪雪のため、裏の宮川が埋まってしまうと云う事態で、
次に訪れた時には朝降った雪が到着する前に消えたしまうなど、ついに雪を撮る事が出来なかった。
         今思うとベストコンディションなどと云わずにその時々の状況に合わせて撮っておけばよかったと
悔やまれてならない。つい最近、工学院大学学長伊藤ていじ先生の文章の中で写真家の二川幸夫さんと
ともに吉島家を初めて発見し、取材されるまでの苦労のいきさつを読み、そうした宿命的な出会いが
今日の吉島家が現存する元になったことを知った。素晴らしく強い運命がこの建物の中にひそんでいるように
思われてならない。撮影のために高い梁の上に上がって土間や囲炉裏を見下ろしていると、
そこには昔、忙しく立ち働いていた職人達の姿が現実のようにたち現れてくるのでした。
 吉島家住宅がこのまま永久に生き続けてくれることを祈りながらシャッターを切り続けたことだった。
                    
          昭和五十九年 毎日新聞社発行 重要文化財「吉島家住宅」より